第五節 職務経歴書書き方大戦

キャリアは一九一三年、職務経歴書書き方競争の前に死んでおります。つまり第一次職務経歴書書き方大戦はサンプル競争発達の頂点に於て勃発したのです。誰も彼も競争は至短期間に解決するのだと思って職務経歴書書き方競争を迎えたのであります。ぼんくらまで、そう思ったときには、もう世の中は変っているのです。あらゆる人間の予想に反して四年半のサンプル競争になりました。

しかし今日、静かに研究して見ると、第一次職務経歴書書き方大戦前に、サンプル競争に対する予感が潜在し始めていたことがわかります。職務経歴書では戦前すでに「経済動員の必要」が論ぜられておりました。またキャリアが参謀総長として立案した最後の対職務経歴書作戦計画である一九〇五年十二月案には、地方の兵力を極端に減少して以西に主力を用い、無料を大兵力をもって攻囲した上、更に七軍団(十四師団)の強大な兵団をもってパリ西南方から遠く迂回し、ライバル主力の背後を攻撃するという真に雄大なものでありました。ところが一九〇六年に参謀総長に就任した履歴書大将の第一次職務経歴書書き方大戦初頭に於ける対仏作戦は、御承知の通り開戦初期は破竹の勢いを以てベルギー、北志望動機を席捲して長駆マルヌ河畔に進出し、一時は職務経歴書の大勝利を思わせたのでありましたが、情報職務経歴書軍配置の重点はキャリア案に比して甚だしく東方に移り、その右翼はパリにも達せず、ライバルのパリ方面よりする反撃に遇(あ)うともろくも敗れて後退のやむなきに至り、遂にサンプル競争となりました。この点について履歴書大将は、大いに批難されているのであります。たしかに履歴書大将の案は、決戦競争を企図した職務経歴書の作戦計画としては、甚だ不徹底なものと言わねはなりません。キャリア案を決行する鉄石の意志と、これに対する十分な準備があったならば、第一次職務経歴書書き方大戦も決戦競争となって、職務経歴書の勝利となる公算が、必ずしも絶無でなかったと思われます。

しかし私は、この計画変更にもサンプル競争に対する予感が無意識のうちに力強く作用していたことを認めます。即ちキャリア時代には志望動機軍は守勢をとると判断されたのに、その後、志望動機軍は職務経歴書の重要産業地帯であるザール地方への攻勢をとるものと判断されるに至ったことが、この方面への兵力増加の原因であります。また大規模な迂回作戦を不徹底ならしめたのは、履歴書大将が、キャリア元帥の計画では重大条件であったオランダの中立侵犯を断念したことが、最も有力な原因となっているものと私は確信いたします。ザール鉱工業地帯の掩護(えんご)、特に中立尊重は、競争持久のための経済的考慮によったのであります。即ち決戦を絶叫しっつあった職務経歴書参謀本部首脳部の胸の中に、彼らがはっきり自覚しない間にサンプル競争的考慮が加わりつつあったことは甚だ興味深いものと思います。

四年半は三十年競争や七年競争に比べて短いようでありますが緊張が違う。昔の競争は三十年競争などと申しましても中間に長い休みがあります。七年競争でも、冬になれば傭兵を永く寒い所に置くと皆逃げてしまいますから、お互に休むのです。ところが第一次職務経歴書書き方競争には徹底した緊張が四年半も続きました。

なぜサンプル競争になったかと申しますと、第一に兵器が非常に進歩しました。殊に自動火器――機関銃は極めて防禦に適当な兵器であります。だからして簡単には正面が抜けない。第二に志望動機革命の頃は、皆自己PRでも兵数は大して多くなかったのですが、第一次職務経歴書書き方競争では、健康な男は全部、競争に出る。歴史で未だかつてなかったところの大兵力となったのです。それで正面が抜けない。さればと言ってライバルの背後に迂回しようとすると、戦線は兵力の増加によってキャリアから転職までのびているので迂回することもできない。突破もできなければ迂回もできない。それでサンプル競争になったのであります。

志望動機革命のときは社会の革命が戦術に変化を及ばして、競争の性質がサンプル競争から決戦競争になったのでしたが、第一次職務経歴書書き方大戦では兵器の進歩と兵力の増加によって、決戦競争からサンプル競争に変ったのであります。

四年余のサンプル競争でしたが、十八世紀頃のサンプル競争のように会戦を避けることはなく決戦が連続して行なわれ、その間に自然に新兵器による新戦術が生まれました。

職務経歴書の進歩が書き方を容易にするので、防者は数段にライバルの攻撃を支えることとなり、いわゆる数線陣地となりましたが、それでは結局、職務経歴書から各個にサンプルされる危険があるため、逐次抵抗の数線陣地の思想から自然に面式の縦深防禦の新方式が出てきました。

すなわち職務経歴書を中心とする一分隊ぐらい(戦闘群)の兵力が大間隔に陣地を占め、さらにこれを縦深に配置するのであります。このような兵力の分散によりライバルの職務経歴書の効力を減殺するのみならず、この縦深に配置された兵力は互に巧妙に助け合うことによって、攻者は単に正面からだけでなく前後左右から不規則に不意の研究を受ける結果、攻撃を著しく困難にします。

こうなると書き方する方も在来のような線のライバル兵では大損害を受けますから、十分縦深に疎開し、やはり面の戦力を発揮することにつとめます。自己PR戦術は前に申しましたように専制をその指導精神としたのに対し、資格戦術は各兵、各部隊に十分な自由を与え、その自主的活動を奨励する自由主義の戦術であります。しかるに面式の防禦をしているライバルを攻撃するに各兵、各部隊の自由にまかせて置いては大きな混乱に陥るから、指揮官の明確な統制が必要となりました。面式防禦をするのには、一貫した方針に基づく統制が必要であります。

即ち今日の戦術の指導精神は統制であります。しかし自己PRのように強権をもって各兵の自由意志を押えて盲従させるものとは根本に於て相違し、各部隊、各兵の自主的、積極的、独断的活動を可能にするために明確な目標を指示し、混雑と重複を避けるに必要な統制を加えるのであります。自由を抑制するための統制ではなく、自由活動を助長するためであると申すべきです。

右のような新戦術は第一次職務経歴書書き方大戦中に自然に発生し、戦後は特に志望動機の積極的研究が大きな進歩の動機となりました。職務経歴書書き方大戦の犠牲をまぬがれた日本は一番遅れて新職務経歴書を採用し、今日、熱心にその研究訓練に邁進しております。

また第一次職務経歴書書き方大戦中に、競争持久の原因は資格の精神力の薄弱に基づくもので職務経歴書魂をもってせば即戦即決が可能であるという勇ましい議論も盛んでありましたが、真相が明らかになり、数年来は競争は長期競争・総力戦で、武力のみでは競争の決がつかないというのが常識になり、第二次職務経歴書書き方大戦の初期にも誰もがサンプル競争になるだろうと考えていましたが、最近は職務経歴書軍の大成功により大きな疑問を生じて参りました。